スポンサードリンク

2008年03月25日

それでもこだわった受験勉強

入院生活で友達はできませんでした。

左隣りのベッドに大学を休学して入院してきた20代前半ぐらいの男性がいましたが一日中ヘッドフォンをして音楽を聞いていました。

のちにその男性は洗浄強迫という病気に苦しんでいるということを先生から聞いたのですが、ちょっとでも手が汚れると不潔に感じて何度も何度も手を洗いたくなるという病気です。

爪がはがれそうになるまで洗い、看護師さんとせっけんのとりあいになっていたのをみかけたことがあります。

右隣りには初老の男性が入院していてお腹がすくと「プリンプリン」とつぶやいていました。


ぼくはというと薬で一日16時間ぐらい寝かされ、起きている時間はめまいと頭痛に苦しんいました。


めまいのしない調子のいい時間も数時間ありましたが、いつも早く回復して受験勉強を再開しなきゃとあせっていました。

一度弟に「勉強するから英語の単語帳を病院にもってこい」と電話したこともありましたが、母親に止められました。

今思うとなぜあそこまで大学にこだわっていたのか不思議です。

人間関係が希薄で勉強ばかりして視野が狭く価値観がとても幼稚だったからかもしれません。『いい大学をでていないと人生に価値がない』恥ずかしながらそんな風におもっていたように記憶しています。


貧しい家庭に生まれ勉強ができても大学に行けなかった人、勉強に興味がなくても頭の回転が速く仕事のできる人、不器用だけどひとつのことを毎日繰り返しその仕事をものにし懸命に生きているなどにそののち出会い『なんで学歴になんかにあんなにこだわっていたのだろう』と今は思っています。


勉強も大切ですが、子供のうちにしっかりとご飯を食べる癖をつけてそしていろいろな人に出会い、さまざまな体験を積んでおくことが一番大切なように思います。

健康でめまいなんかと縁がないのが一番です。
タグ:めまい
posted by もっくん at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月24日

ついにめまいが来た!

初めて薬を飲んだ後、とても眠くなりベッドで横になりました。

気がついたら夜という具合で『副作用は眠くなるだけか』『また、割れるほど頭が痛くなるわけじゃないんだ』と思いほっとしました。

永井看護師が現れ「夜ごはんの時間よ」と言うので食堂へ向かいました。

「病院の食事は薄味であまりおいしくないのよ」と母から聞いていましたが、糖尿病で入院しているわけでもないためか味も濃くメニューも二種類から選べておいしかったのを憶えています。

患者さんのみんなで食事を取った後30分くらいたってから再び薬を飲みテレビを見ていると再び眠くなりました。

永井看護師に「また、眠くなってきた」と話すと「私たち精神科の看護師は患者さんを寝かせてなんぼなのよ」と冗談まじりの笑顔で答えてくれました。

病院は9時消灯で『そんなに早く眠れるかなぁ』と思いましたが、寝る前に睡眠薬を渡され飲んだこともあってかあっという間に眠りにつきました。


そして次の日の朝のことです。頭が割れるように痛いのです。


それと同時に土星を真横からみたような感じでチカチカするめまいがしました。

そのめまいでそののち9年も苦しむことになるとはそのときは思いもよりませんでしたが、フラフラになりながらナースステーションまで行き宿直の看護師さんに頭痛とめまいを訴えました。

すると「まだ起きたばかりなのにつらいわね」と言い、とん服を渡してくれました。

『これを飲めばつらいのが治るのか』ととん服を飲みましたが、全く症状は変わりません。頭痛はこののち入院中に治ることになるのですが、気休めのとん服を飲みながらめまいと戦うことになります。
タグ:めまい
posted by もっくん at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月22日

精神病院へ入院した日

入院日当日は太陽がギラギラ光る暑い暑い8月の終わりのことでした。

両親と3人で再びH病院を訪れました。受付を済ますと「最上階までエレベーターで上がって下さい」とのことでしたので3人で向かいました。

1週間前僕に注射を打ってくれた先生が待ってくれていました。

「改めまして、Nと申します。それでこちらが入院中、面倒みてくれる永井看護師(仮名)です」20代前半のとてもかわいらしい看護師でした。


女性に興味がなかったわけではないですが、そのときは『これからどうなっちゃうんだろう』ということで頭がいっぱいで、かわいい看護師さんが担当だということに喜ぶ元気がありませんでした。


N先生と永井看護師に案内されて病室に入りました。

6人部屋で、想像と違って窓に鉄格子もついてなく、ベッドとベッドはカーテンで仕切られ内科の病室とあまり変わりがありませんでした。

すでに入院中の患者さんたちにあいさつをし、荷物を置くとN先生は「それではみなさん、診察室へどうぞ」とのことなので診察室へ向かいました。

そこでもう1度今までの経緯を話し、今だ大学にこだわり天文学者になるため受験がしたいことを話すとN先生は「それは大変な勉強が必要ですね」という反応。

「そんなの無理ですよ」と言われると思っていた僕は拍子抜けしてしまったのと同時に『この人ならなんでも話せる』と思い、医者ではなく頼りになるお兄さんという印象を持つようになりました。

そしてN先生は「驚かないでくださいね。それではこれがお昼の薬です」と10錠もの薬をわたされました。

とても驚いたのですが、『こんなに薬を飲まなければならないほどの病気なのか』と1週間前同様に病気というお墨付きをもらいなぜかうれしかったです。
タグ:めまい
posted by もっくん at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月21日

名医との出会い

30分くらいたつと病院へ到着しました。

休日ということもあってあまり人がいませんでした。父に支えられながらゆっくりと救急の受付へ向かいました。「精神科の診察室の前で待っていて下さい」とのことでした。

父に「心療内科じゃないの?」と聞くと、「同じことだよ」と教えてくれました。

しばらくたつと20代後半の色黒で背が低くがっしりとした体格のハンサムな白衣を着た先生があらわれました。

「中へどうぞ」やさしいしゃべり方でした。中へ入ると先生は「どうしました?」と聞くので頭が割れそうに痛いこと、ここの病院へ来る前に心療内科で僕に内緒で薬が処方されたことなどをしゃべり、それより前の高校時代にいじめにあったこと、大学を中退して郊外で新聞配達をしながら受験勉強をしていたことなどは父に話してもらいました。

すると先生は「わかりました。つらかったですね。とりあえず今は注射を打って眠りましょう」

「危険な注射じゃないので心配しなくていいですよ」と言いながら注射器を取り出しました。

不安気持に襲われましたが、第一印象でこの先生なら信頼できそうだと思いましたので、身をゆだねました。

注射器を打つと本当に眠くなり、それと同時に恐怖心に襲われました。「先生大丈夫ですよね?大丈夫ですよね?先生、先生、先生っー」そう言いながら気を失いました。


数時間がたち、目を覚ますと窓の外は真っ暗になっていました。


麻酔が効いているのか体を動かすことができません。声を出すことはかろうじてできましたので看護師さんを呼びました。

先生も一緒で「ベッドを空けておきます。来週から入院しましょう。今週は安静に家で過ごしてください。」とのことでした。

入院との言葉に驚きましたが『本当に病気だったんだ』病気というお墨付きをもらったことなぜか安堵感に満たされたことを憶えています。
タグ:めまい
posted by もっくん at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月20日

救急センターへ担ぎこまれた日

母と二人診療所を後にし、帰りの車の中で「もう2度と来ない。何あの先生!」僕は精神科医というものに不信感というものをもつようになりました。

その夜、家族みんなでいつものように食事をしていると母は僕に「残しちゃだめよ。きれいに食べなさい。味噌汁もちゃんと飲むのよ。」となぜかうるさく注意してきます。

いつもそんなことを言わないので僕は内心『薬でも混ぜてあるのかなぁ?まさかね。』と思っていました。

その次の日のことです。弟と妹が今日は家にいるとのことだったので「みんなで映画でも見ようか!」と誘い、ビデオを借りてきて鑑賞することにしました。

そして映画が始まってしばらくたってからのことです。頭が割れるように痛くなりました。

最初のうちはすぐ治るだろうと思っていたのですが、1時間がたち2に時間がたっても痛みが取れないのです。いたたまれない不安感に襲われました。弟も妹も「大丈夫?救急車呼ぶ?」と心配してくれました。

そうこうしているうちに父親が仕事が終わって帰ってきました。

のたうちまわる僕に「H病院の救急センターへ行こう!すぐ車に乗れ!」やはり、父親というのは頼りになります。

父と二人で病院へ向かいました。車の中で父は「ごめんな。実は心療内科の先生に言われて昨日晩御飯に薬が混ぜてあったんだ。たぶん副作用だよ。」と言うのです。


僕の予感は的中していました。


『あの偉そうなやぶ医者め!』そう思いましたが、父と母を責める気持ちにはなりませんでした。そうこう思っているうちにH病院の救急センターへ到着しました。
タグ:めまい
posted by もっくん at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月19日

初めての心療内科

診療所はとてもきれいなところでした。

マッサージチェアーなどもあり、モダン感じでした。まだ、開院したばかりなのか花束もたくさん飾られていました。

なかには、某有名ニュース番組の男性キャスターの名前の入った花束も誇らしげに飾ってありました。


『どんな先生なんだろう?心療内科ってどんな診察をするんだろう?』不安な気持ちでした。


母親と無言で診療所の待合室で待っていました。しばらくして名前が呼ばれました。「まずは二人入って下さい。」とのことでしたので入りました。

先生は40代前半の眼鏡をかけた体格のいい先生でした。「これまでのいきさつを話して下さい」と言われたので高校の時、いじめにあったこと、大学を中退し郊外で新聞配達をしながら受験勉強をつづけたことなどを話しました。

すると先生は考え込み、しばらくすると「君は新聞配達をしているとき、配達途中で家の鍵をしめたかなぁ?どうだったかなぁ?と心配になるでしょう?」と言い始めたのです。

たしかに気になっていたなぁと思い「その通りです。」というと、先生は得意げな顔になり「僕は医者だからね。すごいでしょ。」と言うのです。今思えば、冗談半分で言ったのかなぁとも思いますが、その時は『なんだこいつは』と思い不信感を抱いたものです。

そして続けて「強迫性障害だね」と言ったのです。

20分たらずで診断名をつけられてしましました。僕は驚いたのと先生への不信感で診察室を後にしました。

母親は残るようにとのことでなにやら二人で話していました。心療内科って話すだけでお金とるんだ。なんか嫌な先生だし、もう来たくないなぁ、というのが人生初めての心療内科の感想でした。
タグ:めまい
posted by もっくん at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月18日

帰郷して思ったこと

父の携帯電話に連絡した2日後には父は仕事を休み迎えに来てくれました。


とてもうれしかったなぁ。


家へ帰る車の中会話は特にありませんでした。父は『何も言わなくていい。よくやったよ。』そんな感じでした。

半年間の緊張から解放されていくのを感じながら車の外を眺めていました。

するとどういうわけか、目がかすんでいくのです。視力がどんどんと落ちていくのです。目が見えなくなってしまうのではないかと不安でした。後でわかったことですが、1.0あった視力がこのとき0.1まで落ちてしまったのです。

半年間にわたる過度の緊張とストレスが原因からだと思います。

家に着くと母親も弟も妹もまだ元気だったおじいちゃんもみんな何事もなかったかのように「おかえり」と言ってくれました。

おじいちゃんの目には涙がうかんでいたのをいまでもはっきりと覚えています。すごんで家を飛び出した僕でしたが『やっぱり、ぼくの家、僕のふるさとはここなんだ』そう感じました。

帰宅後2、3日は放心状態でした。『これからどうなるんだろう』敗北感と不安感。でも、今まで以上に家族の愛を感じていました。


しばらくして、近所でアルバイトすることにしました。サンドイッチ屋さんです。『そこでアルバイトをしながら受験勉強をつづけよう』ここまできても僕はまだ大学にこだわっていました。


情けないようですが、価値観が変わらないのです。


ここまで大学にこだわる僕を母親はここで初めて『この子は病気なんではないか?』と疑い始めました。

僕はというと「俺はすごいんだ。絶対いい大学に行ってやる」という具合。


やはり、病気だったのです。無理やり近所の心療内科へ連れて行かれ診てもらいました。この時点ではまだ、めまいはしていませんでした。
タグ:めまい
posted by もっくん at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月17日

続かなかった新聞配達

雨の日の朝、体が動きませんでした。それでもなんとか体を動かし、げっそりした体でバイクにまたがり、職場へ向かいました。

僕の変わり果てた顔の表情に、所長の奥さんも心配してくれました。

遅刻したために配達も遅れ、朝の6時頃まで普段なら配り終わるところですが、7時になっても半分しか配り終わっていないような始末。見かねて先輩の配達員の方に配るのを手伝ってもらいました。


催促の電話もリンリンなってみんなに迷惑をかけたのをおぼえています。申しわけなかったなぁ。


なんとか普段の2時間遅れで配達を終えたのですが、食事ものどにとおりませんでした。

アパートに帰りぐったりして天井をみながら、『もうダメだ。限界だ悔しいけれどお父さんに電話して家に帰ろう』半年間、連絡を取っていなかった父の携帯電話に連絡しました。

父の第一声は「ダメなのか?帰るか?」でした。


半年間も連絡を取っていなかった息子がいきなり電話してきたので直感したのだと思います。「うん、もう限界」と言いました。

それからその次の日に速達で母親から一通の手紙が来ました。そこには『よくがんばったね、帰ってらっしゃい』と一言かいてありました。

涙が止まりませんでした。あんなに泣いたのは人生で初めてでした。『やっぱり、親ってありがたいなぁ』心の底からおもいました。

その晩、所長のところに辞めることつげに行きました。敗北感でいっぱいでした。まだ19でしたが人生が終わった気がしていました。


所長は僕のように1年もたない新聞奨学生に慣れていたのか「家に帰って親孝行しなさい。家に帰ってゆっくりと自分の人生をどうするのか、考えなさい」と激励して下さいました。


ありがたかったです。ただ、このときはまさか後に薬漬けにされてめまいに苦しむ人生が待っているとは考えもしませんでした。
タグ:めまい
posted by もっくん at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月15日

大変だった高校時代

めまいがする前の僕の人生を振り返ろうと思います。

めまいと闘うのも大変ですが、もっと大変な時期もありました。


高校のころ、いじめに悩んでいました。


それが原因で食が細くなり、一日にロールパン1個またはカロリーメイトと野菜ジュースだけというような食事がつづき肉体的にも精神的にもボロボロになってしまいました。

それでも、大学の附属校ということもあって一生懸命勉強し大学へ進学しました。でもつづきませんでした。

人間関係が変わらなかったからということと、あの人も僕の悪口を言っているのではないかという被害妄想があらわれ始めたからです。半年ぐらいでやめてしまいました。

あの時のことを今思うと、本当に人生最悪のときでした。つらかったな。

その時はまだ被害妄想が病的ものだとわかっていなかったので、大学にこだわり、もっと凄い大学へ行ってやる。

みんなを見返してやると意気込んで新聞配達をやりながら勉強をつづけることを決意し、東京の郊外で新聞を配りながら勉強をするということを19歳の春から始めました。人間関係を絶って勉強をするという発想しかできないこと自体今思うと「病的だったな」と感じます。

今まで勉強しかしてこなかったぼくがいきなり働き始めたのでカルチャーショックも大きかったです。

「みんな、その人の能力に応じて一生懸命生きて、楽しく生きているんだよ。勉強ばっかしてないでもっと人生を楽しみな」などと言われ人生について考えさせられる時間も多くなりました。

ある日見返すために勉強している自分に自己嫌悪をおぼえ、体が動かなくなりました。朝目が覚めても体動かないのです。雨の激しい朝でした。今日はここまでにします。
タグ:めまい
posted by もっくん at 06:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 病気カテゴリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。